このタイトルは、この記事が最終回になります。
Uの記事でコメントをいただいた〈25さん〉〈M・Iさん〉〈きむえりさん〉〈waiさん〉〈やすひらさん〉〈にこにこさん〉〈サクラさん〉 本当にありがとうございました。
それぞれ深い内容のコメントをいただきました。みなさんの立場や御事情から親御さんに対するさまざまな思いを感じる事ができました。
「人を許しなさい」と一言で言っても、場合によってはそう簡単には許すという気持ちが湧き上がって来ないでしょう。当然葛藤もあります。
私がお話しする3人目の許せない人は、父の妻(私から見れば義母ですか)でした。
彼女は私の存在を嫌がっていました。自分の子どもたちに、私が姉だということを隠すよう、ずっと口止めをされていました。
父を独占したいという嫉妬心なのでしょうか。父を責めて、自分は被害者なのだといつも口にしていました。
私から見れば、父の妻という立場を得て何不自由なく暮らしている彼女は幸せそのものに見えました。でも、彼女は年中体調不良を訴えていました。
私は彼女の冷たい態度とお説教がたまらなくいやでした。父から時々「妻は心が狭いけど本当はやさしい人だから気にするな」と言われていました。
残念だったのは、父の最期の時に私に連絡が来なかったので、父の死に目には会えなかったことでした。
父の葬儀の時は、泣き崩れて取り乱している彼女の姿が今でも記憶に残っています。私の父が死んだと言うより、彼女の夫が亡くなったのだと思いました。
父の葬儀の1ヶ月後、彼女から話しがあると呼び出されました。それは、私に父の財産を受け取る権利を放棄してほしいというものでした。
この申し出に私の回りの人達全てが、彼女は身勝手すぎると怒りました。中には裁判してでも自分の権利を主張しなさいと言う人もいました。でも結局
私は財産放棄を受け入れ判を押しました。今でもこの決断はよかったと思っています。
お金は自分の力で作れます。お金より時間の方が大事です。私は1分でも彼女と関わる時間を作りたくありませんでした。争う時間があればその時間を自分の未来に投資する方を 選びたかったのです。これは、私の内なるメッセージだったのです。
私は、それから勉強して資格を取り、経済的に自立しました。
私は彼女を私の中で許す事によって、潜在意識とコンタクトができ、貴重な時間と心の平安を手に入れたのだと思います。
潜在意識解読の感想コーナー
2006年05月06日
2006年05月01日
許せない人を許す時、潜在意識は…。U
私がこのタイトルのTで、父の事を書いた後、まわりから反響がありました。父の事は誰にも話した事がなかったので、衝撃を与えた様です。
記事にコメントを書いていただいた、〈nonokaさん〉〈soraさん〉〈くまこさん〉〈M.I.さん〉〈Nanakoさん〉〈やすひらさん〉〈waiさん〉〈Chacoさん〉〈ピンクのふうせんさん〉本当にありがとうございました。そして読んで下さったすべての方々に感謝します。
こういう記事は人によっては、重い気持ちになると思いますし、私自身辛かった事を思い出して、書きながらちょっと涙ぐんだりしてしまいました。
潜在意識の解読が出来る様になってからわかりましたが、「人を許す」というか「許せない気持ちを手放す」事は、私にとって人生を変える大変重要な事だったのです。
今回は母の事を書きます。母は昔から不平不満や愚痴はあまり言わない方でしたが、父との別れで辛かったのでしょう、私が小さい頃から、私を叱る時に「あなたのこういう悪い所はお父さんそっくりね」と私の欠点と父をダブらせて私にあたっていました。
私は口にこそ出しませんでしたが、「じゃあなんでそんな人を相手に選んだのよ。」「そもそも私を産まなきゃよかったんじゃない!」と悲しさと悔しさがいりまじった気持ちで心の中で叫んでいました。
母は父の裏切りを許せない日々を送り、私は父ばかりか、その父を選んだ母も許せず、「許せない連鎖」が起きて、人間不信の一歩手前くらいまでいっていました。
母に対しても優しい言葉がかけられなくて、いつもぶっきらぼうに応対して
いました。父が癌であとわずかしか生きられないとわかったある日、母が私に話しがあると言ってしみじみ語りだしたのです。
「あなたには、ちゃんと伝えていなかったけど、お腹の中にあなたができた時、お父さんはそれはそれは喜んだのよ。生まれた時も大喜びで、毎日あなたの写真を撮っていたのよ。今のお父さんとは全然ちがっていたわ。本当のお父さんの良さをわかってあげてほしい…」と幸せだった頃の様子をはじめて細かく再現してくれました。母の中で何かが吹っ切れたのでしょう。笑顔でした。
私は母の話しを聞いた後、母にこれからやさしくできそうな自分を発見していました。母は愛を失って、心がかたまっていた気の毒な女性だったのだなと、自分なりに理解しました。
この気付きは、潜在意識に届いたらしく、それから私と母の間はすごいスピードで改善されていきました。今も一緒に暮らしています。母は優しく、ポジティブなおばあちゃんになっています。
(つづく)
潜在意識解読の感想コーナー
記事にコメントを書いていただいた、〈nonokaさん〉〈soraさん〉〈くまこさん〉〈M.I.さん〉〈Nanakoさん〉〈やすひらさん〉〈waiさん〉〈Chacoさん〉〈ピンクのふうせんさん〉本当にありがとうございました。そして読んで下さったすべての方々に感謝します。
こういう記事は人によっては、重い気持ちになると思いますし、私自身辛かった事を思い出して、書きながらちょっと涙ぐんだりしてしまいました。
潜在意識の解読が出来る様になってからわかりましたが、「人を許す」というか「許せない気持ちを手放す」事は、私にとって人生を変える大変重要な事だったのです。
今回は母の事を書きます。母は昔から不平不満や愚痴はあまり言わない方でしたが、父との別れで辛かったのでしょう、私が小さい頃から、私を叱る時に「あなたのこういう悪い所はお父さんそっくりね」と私の欠点と父をダブらせて私にあたっていました。
私は口にこそ出しませんでしたが、「じゃあなんでそんな人を相手に選んだのよ。」「そもそも私を産まなきゃよかったんじゃない!」と悲しさと悔しさがいりまじった気持ちで心の中で叫んでいました。
母は父の裏切りを許せない日々を送り、私は父ばかりか、その父を選んだ母も許せず、「許せない連鎖」が起きて、人間不信の一歩手前くらいまでいっていました。
母に対しても優しい言葉がかけられなくて、いつもぶっきらぼうに応対して
いました。父が癌であとわずかしか生きられないとわかったある日、母が私に話しがあると言ってしみじみ語りだしたのです。
「あなたには、ちゃんと伝えていなかったけど、お腹の中にあなたができた時、お父さんはそれはそれは喜んだのよ。生まれた時も大喜びで、毎日あなたの写真を撮っていたのよ。今のお父さんとは全然ちがっていたわ。本当のお父さんの良さをわかってあげてほしい…」と幸せだった頃の様子をはじめて細かく再現してくれました。母の中で何かが吹っ切れたのでしょう。笑顔でした。
私は母の話しを聞いた後、母にこれからやさしくできそうな自分を発見していました。母は愛を失って、心がかたまっていた気の毒な女性だったのだなと、自分なりに理解しました。
この気付きは、潜在意識に届いたらしく、それから私と母の間はすごいスピードで改善されていきました。今も一緒に暮らしています。母は優しく、ポジティブなおばあちゃんになっています。
(つづく)
潜在意識解読の感想コーナー
2006年04月27日
許せない人を許す時、潜在意識は…。T
私は、若い時にどうしても許せない人が3人いました。父と母と父の妻でした。
私が物心ついた時には、父と母はもうすでに別れていました。ですから私の記憶には、両親一緒の思い出はありません。私は母と二人で暮らしていましたが、父はすぐ再婚して二人の子供ができました。母は私が高3の時に再婚しました。
母と暮らしている間、時々父の所へ行く事がありました。母はあまり裕福ではありませんでしたが、父はドクターでしたので裕福でした。それで、私の進学などでお金がいる時に母は私を父の所に行かせました。
父の妻は、父が私の存在を最初隠していたので、知った時にショックを受け、体調を崩した事で父を責め続けていました。父は彼女に頭が上がらない様子で、私の事で何度も謝っている姿を目撃しました。
私が父の所へ行った時は、妻は自分たちの子供に私を、親戚の子供として紹介して、決して父の子供である事を言わない様に口止めをしました。ですか
ら私は父を「お父さん」とは、呼べなくて「おじさん」と言わなければならなかったのです。私にとってはそれは屈辱でした。
心がすさんでいき、私は一種の感情の不感症になりました。悲しみや寂しさを感じないかわりに、感動やよろこびも感じなくなりました。はたから見たらクールで何を考えているかわからない人間に映ったと思います。
そして心の中は、父と父の妻と、母に対する憎しみでいっぱいでした。自分は生まれてこなければよかったのにと思っていました。
父は私が21才の時癌で亡くなりました。父は妻が精神的に不安定なのを気遣って、自分の家族に死ぬまで、どんなに痛くても辛い顔ひとつ見せませんでした。
たった一度私にだけ「自分はもうだめかもしれない…」と見た事もない悲しい顔をしました。その時、死ぬ間際まで家族に気を使い、誰にも気持ちをぶつけられなかった父の人生を心から気の毒に感じて、父を許そうと初めて思いました。
潜在意識を解読できる様になって、父との関係を見たら、父と母は戦国時代をはじめ、何回か転世するたびに敵同士だった様です。
私は、今生で和というテーマとミッションを持って生まれて来ているので、敢えて敵同士の父母を選らび転世した事がわかりました。
(つづく)
潜在意識解読の感想コーナー
私が物心ついた時には、父と母はもうすでに別れていました。ですから私の記憶には、両親一緒の思い出はありません。私は母と二人で暮らしていましたが、父はすぐ再婚して二人の子供ができました。母は私が高3の時に再婚しました。
母と暮らしている間、時々父の所へ行く事がありました。母はあまり裕福ではありませんでしたが、父はドクターでしたので裕福でした。それで、私の進学などでお金がいる時に母は私を父の所に行かせました。
父の妻は、父が私の存在を最初隠していたので、知った時にショックを受け、体調を崩した事で父を責め続けていました。父は彼女に頭が上がらない様子で、私の事で何度も謝っている姿を目撃しました。
私が父の所へ行った時は、妻は自分たちの子供に私を、親戚の子供として紹介して、決して父の子供である事を言わない様に口止めをしました。ですか
ら私は父を「お父さん」とは、呼べなくて「おじさん」と言わなければならなかったのです。私にとってはそれは屈辱でした。
心がすさんでいき、私は一種の感情の不感症になりました。悲しみや寂しさを感じないかわりに、感動やよろこびも感じなくなりました。はたから見たらクールで何を考えているかわからない人間に映ったと思います。
そして心の中は、父と父の妻と、母に対する憎しみでいっぱいでした。自分は生まれてこなければよかったのにと思っていました。
父は私が21才の時癌で亡くなりました。父は妻が精神的に不安定なのを気遣って、自分の家族に死ぬまで、どんなに痛くても辛い顔ひとつ見せませんでした。
たった一度私にだけ「自分はもうだめかもしれない…」と見た事もない悲しい顔をしました。その時、死ぬ間際まで家族に気を使い、誰にも気持ちをぶつけられなかった父の人生を心から気の毒に感じて、父を許そうと初めて思いました。
潜在意識を解読できる様になって、父との関係を見たら、父と母は戦国時代をはじめ、何回か転世するたびに敵同士だった様です。
私は、今生で和というテーマとミッションを持って生まれて来ているので、敢えて敵同士の父母を選らび転世した事がわかりました。
(つづく)
潜在意識解読の感想コーナー